2015年7月7日 星期二
【忘れ難き偉人伝】木村昌福
2013年5月4日 産経新聞
(上)「パーフェクト」のキスカ撤退
困難な状況下にあっても、合理性、人道主義を忘れずにいることの重要性を改めて教えてくれる話です。特に人の上に立つ人は、学校などの成績だけからはわからない、人間力ともいうべき能力を養っていかなければならないと思います。
『昭和17(1942)年6月7日、米国領に初めて日の丸が掲げられた。アリューシャン列島のキスカ島。翌8日には300キロほどカムチャツカ寄り のアッツ島も陸軍が上陸する。現在まで凍土の孤島ながら米国領が他国に占領されたことはなく、米軍としては屈辱的だったに違いない。2島は数奇な運命をたどる。
アッツ放棄と引き換えにキスカ撤退作戦が決定された。18年5月29日、アッツ島は壮絶な戦闘の末、守備隊2500名が全滅、初めて「玉砕」が使われる。
キスカ撤退作戦の指揮官は木村昌福(きむら まさとみ)(1891年(明治24年)12月6日 - 1960年(昭和35年)2月14日)。海軍兵学校でハンモックナンバーと呼ばれ、配属や昇進の基となる卒業成績は118人中107番と下位で、このため駆逐艦乗りの海上勤務が長い、いわゆる「潮っ気いっぱい」の男だ。
うち捨てられたアッツ将兵のためにもキスカ撤退は必ず成功させなければならない。常々、木村はこう語っていた。指揮官として守るべき事項は「無理 やり突っ込むは匹夫の勇」「部下を思う至情と指揮官の気迫と責任」「部下が迷ったときに何らかの指示を与え、自分の立場、責任を明確にせよ」だ。作戦に当 たり、参謀に一任した上で「焦るな、責任はおれが取る」
キスカには陸軍2700名、海軍2500名が配置についていた。陸海打ち合わせの際、木村は言った。「敵に遭遇した場合、主力艦隊は撃破に任ず る。しかし1隻でも2隻でもキスカに突入させ、一兵でも多くの陸軍部隊を収容したい。海軍部隊は同僚であるから遠慮してもらう」。戦況悪化につれ、陸海軍 の足並みが乱れるが、この作戦は違った。収容作業は1時間以内と判断した木村は陸軍に対し、携帯武器の放棄を要請する。菊のご紋章が付いた三八(さんぱち)式歩兵銃を海に捨てろというのだった。陸軍は「銃を捨てられるか」と抵抗するが、陸軍北方軍司令官の樋口季一郎は独断で承諾する。
合理的人道主義のこの2人なくしては、5183名を救出し、米軍に「パーフェクトゲーム」と言わしめた作戦成功はなかった。(将口泰浩)』
(下)「一兵残らず救出する」の信念
木村昌福率いる海軍の救援艦隊は昭和18(1943)年7月22日、幌筵(ほろむしろ)島を再出撃する。突入 予定日の29日、同行の気象士官は「飛行不適」と予測し、キスカの気象班も「飛行不適」。無論、木村は迷うはずもなく「午後1時突入」を決める。
米軍上陸に際した偽装工作をした上で、全将兵はキスカ湾に集結し、艦隊を待つ。1時40分、「阿武隈だ」。1隻、2隻…...「まだ日本にも軍艦が残っていた のか」。声にならない。ひげ面を涙が伝う。感激している間もなく、次々と将兵を満載した大発が出港する。命に換えても手放すなと教えられた三八式歩兵銃が 海に投げ捨てられた。荷物を持ち、縄ばしごを上る兵に「荷物は捨てろ」と指示が飛ぶ。「戦友の遺骨であります」。「戦友の遺骨、遺品は許す」と再び、指示 が出る。午後2時35分、木村が「出港だ」と命じる。わずか55分で5183人全員を収容した。かつて撤退する際、武器放棄を命じた指揮官がいただろう か。
最短コースで一路、幌筵に向かう阿武隈の甲板で陸軍将兵が尋ねた。「アッツ島はどの当たりですか」。「本艦の真北、右舷正横にあた る」。立錐(りっすい)の余地もない甲板でだれともなく頭を垂れる。アッツ島に対する黙祷(もくとう)が続く。作戦成功の要因にアッツ島の英霊のご加護が ある。あの凄(すさ)まじい玉砕戦があったからこそ、米軍はキスカ撤退など頭の片隅にもない。事実、翌8月、アッツ作戦を上回る艦艇100隻で、キスカに 上陸した米軍3万4400人は同士打ちを演じ、死者25人、負傷者31人を出し、偽装の「ペスト収容所」の看板を見てワクチンを取り寄せたため、さらに進軍は遅れる始末だった。「捕虜は雑種犬3頭」と発表、米航空兵は「10万枚のチラシをまいたが、犬では字が読めなかった」と語り、「史上最大の最も実践的な上陸演習」と皮肉られた。
「一兵残らず救出する」という信念を貫いた木村の下で陸海軍一丸となったキスカ撤退。木村のような指揮官が数多く存在していたら、と思わずにはいられない。(将口泰浩)
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指揮系統
第五艦隊
司令長官 河瀬四郎中将(海兵38期、海大20期)
参謀長 大和田昇少将(海兵44期、海大26期)
第一水雷戦隊
司令官 木村昌福少将(海兵41期)
先任参謀 有近六次中佐(海兵50期)
気象士官 橋本恭一少尉(九州帝大、兵科予備学生1期)
キスカ島守備隊
陸軍北海守備隊司令官 峯木十一朗少将(陸士28期)2,700名
陸軍北方軍司令官 樋口季一郎中将(陸士21期) 麾下
海軍五十一根拠地隊司令官 秋山勝三少将(海兵40期)2,800名
参加兵力は次のとおり (撤収作戦指揮官:木村昌福少将)
第一水雷戦隊(司令官:木村昌福少将)
軽巡 「阿武隈」
駆逐艦 「島風」 「響」 「朝雲」 「薄雲」 「夕雲」 「長波」 「秋雲」 「風雲」 「若葉」 「初霜」 「五月雨」
海防艦 「国後」
補給船 「日本丸」
第一潜水戦隊
第二十一戦隊
軽巡 「多摩」「木曾」
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