【釋義】:鴃:即伯勞。原為孟子譏諷楚人許行說話如鳥語。後用以譏笑操南方方言的人。 【出處】:《孟子.滕文公上》:「今也,南蠻鴃舌之人,非先王之道,子倍子之師而學之,亦異於曾子矣。」
鴃舌或問
「崋山・長英論集」
佐藤昌介 校注
岩波文庫
渡辺崋山、高野長英の著述・手記等を集めたもの。
渡辺崋山
「鴃舌小記・鴃舌或問」
「慎機論」
「諸国建地草図」
「外国事情書・再稿西洋事情書・初稿西洋事情書」
「退役願書之稿」
「絵事御返事」
「遺書」
高野長英
「漢洋内景説」
「西洋学師ノ説」
「戊戌夢物語 付 渡辺崋山朱注」
「わすれがたみ」
「蛮社遭厄小記」
「知彼一助」
〔渡辺崋山〕
「鴃舌小記・鴃舌或問」
(一八三八(天保九)年三月、江戸参府に来たオランダ商館長ニーマンとの対談の模様を記したもの。
崋山が一人で対面したのではなく、数名で対談に臨み、それらの人々の質問とニーマンの応答を、崋山が筆記してまとめたものと考えられる、とのことです。
オランダ商館長は毎年一度(寛政二年以後は五年毎)参府して将軍に拝礼する義務を負っていた。
『小記』は序章的な部分、『或問』が対談の具体的な内容。
「鴃舌(げきぜつ)」は西洋人の言葉。
以下はその中のいくつかです。)
質問。
ヨーロッパの中で、貴国(オランダ)の他に、兵力強盛な国にどんな国があるか。
答え。
生質勇敢、戦闘精煉なのはトルコが第一である。
しかし、戦術百出して、敗れる事もある。
これに対抗できるのはロシアである。
気質深沈、思慮遠大で、みだりに兵を動かさない。
動かす時には、必勝の状況にある。
なので、今、イギリスは、秘かにロシアを学んでいる。
質問。佐藤昌介 校注
岩波文庫
渡辺崋山、高野長英の著述・手記等を集めたもの。
渡辺崋山
「鴃舌小記・鴃舌或問」
「慎機論」
「諸国建地草図」
「外国事情書・再稿西洋事情書・初稿西洋事情書」
「退役願書之稿」
「絵事御返事」
「遺書」
高野長英
「漢洋内景説」
「西洋学師ノ説」
「戊戌夢物語 付 渡辺崋山朱注」
「わすれがたみ」
「蛮社遭厄小記」
「知彼一助」
〔渡辺崋山〕
「鴃舌小記・鴃舌或問」
(一八三八(天保九)年三月、江戸参府に来たオランダ商館長ニーマンとの対談の模様を記したもの。
崋山が一人で対面したのではなく、数名で対談に臨み、それらの人々の質問とニーマンの応答を、崋山が筆記してまとめたものと考えられる、とのことです。
オランダ商館長は毎年一度(寛政二年以後は五年毎)参府して将軍に拝礼する義務を負っていた。
『小記』は序章的な部分、『或問』が対談の具体的な内容。
「鴃舌(げきぜつ)」は西洋人の言葉。
以下はその中のいくつかです。)
質問。
ヨーロッパの中で、貴国(オランダ)の他に、兵力強盛な国にどんな国があるか。
答え。
生質勇敢、戦闘精煉なのはトルコが第一である。
しかし、戦術百出して、敗れる事もある。
これに対抗できるのはロシアである。
気質深沈、思慮遠大で、みだりに兵を動かさない。
動かす時には、必勝の状況にある。
なので、今、イギリスは、秘かにロシアを学んでいる。
フランス・スペイン・イタリア・トルコ・スウェーデン・ロシアの諸国にも、書物は多くあるはずだが、貴国で翻訳されないのはなぜ。
答え。
学問芸術の盛んなのはドイツ、次にフランスであって、他の国には比べるものはない。
ただイギリスは機巧が盛んに行われ、西洋諸国の工匠は、その都ロンドンに集まるので、他国は機工に事を欠いている。
その国が便利な機械を製造すれば、大利を得られるので、このような風俗となった。
質問。
新しく便利な機械を製造するのに、一代でできなければ、二代、三代と経て完成する物もあると聞く。
皆、官府の人と聞く。
そうでなくては、生活が成り立たず、そういう事をしていても志が遂げられないだろう。
どうか。
答え。
我が国に限らず、西洋諸国には、神学・人文学・技術などの学校がある。
人が生まれて、五、六歳になると私立学校、地方の学校に入り、それからその人の才能を見定め、その志を決める。
学んでいて発明があれば、その説を記して、学院に提出し、諸学士の審査を得て、政庁に進め、政庁で又審査して、帝王の許可を得る。
そののちは学資は全て官府から出て、その物が完成するまでは、二代、三代を経ても、遅速を責めることはない。
大学校の論定を経て印刷刊行し、世界中に広がる。
一人自分だけが尊く他は劣っていると考え、自ら耳目を閉じる弊害もなく、学者の規模広大で、実学は盛んに行われ、学問に向う者は日々増えて、志のある者が生活に困るなどということはない。
質問。
ロシアは近年ますます広大の国になったという。
しかし、赤道以南の地域には、領地を聞かない。
なぜ、オランダ・イギリス・スペイン・フランスのように、遠隔の地を望まないのか。
答え。
イギリス人は得ることに務め、ロシア人は失わない事を欲す。
絶海遠隔の地は、得易いが失い易い。
だからロシア人はこれを欲しない。
ただ数百年の力で徳を積み、威を示し、一たび手に入れた地は、再び失わない事を務めとする。
なので陸地続きに侵食することを隠れた計略としていて、支那領の満州及び蝦夷諸島を狙っているというのは、そういう事もあり得るだろう。
しかし、これらの事情は、容易に外国人には知らせる事ではないので、推測しても知りがたい。
遠隔の地は割拠侵食の患が多く、かえって本国の憂いとなりやすいために、貪ることを慎んでいるのか、実否は分からない。
質問。
江戸の広大さは、他国にもあるか。
答え。
我が国の都アムステルダムでは比べ物にならない。
パリ並みの大きさである。
フランスは我が国の二十八倍の大きさである。
日本に乞食の多いのと、火事の大きいのは、世界第一と言うべき。
質問。
日本人の人品をどう思う。
答え。
性情はトルコ人に似ている。
トルコ人は、才識高明であるが、必勝を謀る事ができない。
深遠な学問をするが、身近なことは学ばない。
故に秀才は傲慢になりがちで、平均的な者は怠惰である。
新しい機械を見て模倣することは得意だが、深く考える事がないので、物を創造する事はできない。
これを我が国では軽脳と言う。
しかし、その敏才は、ヨーロッパ人の及ぶところではない。
質問。
医学のやり方はどのようにするのか。
答え。
医学は人の生命にかかわる事なので、容易ではない。
まずその家業並びに貴賤の者に関わらず、医を学びたいという者があれば、その父から官府に届ければ、呼び出して、問い試みて、見込みがありそうなら、入学の糧を与え、まず解剖所に三年間勤める。
医学を心がける者は、在宅の時も解剖の図書を熟読して、学習が速やかに上達すれば、その旨学校から官家に考課を出せば、期日を待たずに昇進する。
それから製薬局に出仕する。
これも三年たたなくても、その功課が達せられれば、獄中医者の手伝いになる。
これはもはやよほどの昇進である。
罪人はその一人を失っても事件の事実の解明が不可能となり、正当な判決が出せなくなり、影響が大きいので、平人よりも心を用いて処置をする。
医生は、この功課が終わると、病院の医となる。
ここから次第に出世して、軍中・船中医、侍医にも昇り、学校の先生となる。
したがって、先生というのは、その数は極めて少なくて、大国でも一人か二人である。
おおかたは病院の医となれば、甚だの昇進であって、郷学校の先生でも容易になれるものではない。
又、一国の学校の先生となって、他方に遊学し、ドイツ・イギリス・フランスの学校において敵手がないときは、初めてこれを大先生と言う。
先生の月俸は、日本の金貨でだいたい千金に当たる。
大先生はその名声によって差がある。
その金は、学業の研究や、生徒の教育、必要な器材を買ったり、本を出版することなどに使う。
又、医家並びに学者に発明があれば、これを学校に提出し、学校において審査の上、その発明に効果があれば、その人にこれを任せ、そのことを書に著して、王家からこれを他の地域に配り、その書の価の中から幾分かの金をその人に与える。
他の地域のその書を読んだ者は、速やかにこれを試験し、新発明を附して、速やかに出版する。
故にヨーロッパ中、何事においても、一つの発明があると、速やかにヨーロッパ中の標準となる。
故に士人は皆、一つの発明を出せることを望む。
質問。
牢獄の医者は人を選ぶというのは。
答え。
囚獄は天下公道の場所なので、医者を選ばなければ、罪人が非業に死ぬので、慎重に選ぶ。
ことに獄中は清気の通りも悪いので、体が病まないように、月に六日、吏卒を付けて、獄舎の庭を歩かせ、飲食はじめ、すべて養生を旨とし、四ヵ所の役所が審問して、帝王に申しあげ、決断は聖職者の司る所でして、すべて天道に背かないように慎重に行っている。
まして、腕の悪い医者の誤療を恐れるため、人を選んでいるのである。
(見 習いの時期に獄中医者の手伝いになるというのは、日本では、江戸時代には面倒な場合は獄舎の中で殺してしまっていたとか、戦中の取り調べでも拷問をしてい たとかいう話が頭に浮かんで、囚人なら何かあっても問題ないから経験を積ませるためにかと思いましたが、合理的な理由と人道的な理由からでした。
日本と西洋では考え方が全く違うようです。)
質問。
コンスブリユク(ドイツ人医師。彼の医書の蘭訳本が、小関三英らによって翻訳されていた)とはどのような人か。
答え。
知らない。
現在、ドイツにハーネマンという医者がいる。
西洋の第一人者である。
その療治は、古来の法を一変した。
その説を広めると、諸国の人は信従しない者はなくなった。
これによって、フランス・イギリス及び我が国の医人と会議をして、ついにハーネマンの法に改めた。
勢いはヨーロッパ中に及んでいるので、ついには世界中を一変させるだろう。
このような名医は古来にも稀である。
質問。
ハーネマンの療法の、水を以て水を救い、火を以て火を救うというのはどのような事か。
答え。
これは大医者にも容易に理解しがたい事なので、最初は処々で論争があった。
追々、その効果が大きいのに心服し、今はおおむねその説に従っている。
その子細は、従来の療法はただ病を敵国のように思って、兵によってこれを防ぎ、また病を火の如くに思って、水を以てこれを消すようなことにのみ苦心していた。
しかし、病は人身の活動の変化であって、人身の外に病があるわけではない。
それを人身から完全に取り外す事はできない事なので、その変化の出所に注目して、まずなぜ生命力がその変化を生じたのか、その人の生まれつき、住環境、栄養摂取の状態が悪いのか、生命力が乏しくて変化を防ぐことができないのかを考える。
そしてその生命力の欲するように、病因を、薬、もしくは他の方法で治療することで、かいつまんで言えば脳神経を強壮にする治療方法である。
(294ページ。注五二。
ハーネマン
一七五五-一八四三。
ドイツ人医師。
類似療法の祖。
ハーネマンによれば、すべての病は、これと類似の症状を呈する、より高度の病がおこることによって治る、とされる。
そこで同じ症状をひきおこす薬剤を患者に投与して治療する。
これを類似療法という。
「従来の療法はただ病を敵国の様に心得」とは対症療法の比喩的説明。)
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