毎日新聞
吳海軍工廠で、装備などを取り付ける艤装(ぎそう)中の戦艦大和(1941年9月撮影)
70年前の1945年4月7日、沖縄を目指していた戦艦大和が鹿児島・坊ノ岬沖で撃沈された。無謀な海上特攻作戦を海軍は「1億総特攻の先駆け」と 美化し、乗員2740人を戦死させた。世界最大の46センチ主砲が敵戦艦に火を噴くことはなく、この最後の艦隊出撃で、撃墜したとされる敵機はわずか3機 だった。大艦巨砲主義の誇大妄想が生んだ不沈戦艦への「信仰」に対し、宗教家の山折哲雄さん(83)は「大和とは、いびつな時代のいびつな象徴だった」と 指摘する。【高橋昌紀/デジタル報道センター】
海軍の公式記録である「軍艦大和戦闘詳報」(昭和20年4月20日作成)などによると、大和が上げた戦果は撃墜3機、撃破20機とされている。米海軍機の被弾・防火対策は優れており、撃墜することが難しかったという。上空直援が無かった日本の第1遊撃部隊(大和、軽巡洋艦「矢矧(やはぎ)」、駆逐艦8隻)に対し、米空母機動部隊は雷・爆撃機と護衛の戦闘機で構成した戦爆連合367機を投入。未帰還10機・戦死12人の損失だけで、日本艦隊を壊滅させた。第2艦隊司令長官の伊藤整一中将はじめ、日本側の全戦死者は大和の2740人を含む計3721人。残存艦艇は駆逐艦4隻だけだった。
この海上特攻作戦は連合艦隊司令長官の豊田副武(そえむ)大将でさえ、成功すれば「奇跡」とみていた。矢矧を旗艦とした第2水雷戦隊司令部は「水上部隊は兵器・弾薬・人員を陸揚げし、残りは浮き砲台とすべし」との意見具申を行っていた。作戦に反対する伊藤中将ら現場指揮官に対し、連合艦隊参謀長の 草鹿龍之介中将は「一億総特攻の魁(さきがけ)となってほしい」と説得したという。
「劇的な最期」を遂げた不沈戦艦は戦後、さまざまな神話を生んだ。連合艦隊は沖縄への片道燃料(艦隊総計2000トン以内)だけで、特攻艦隊を送り出したとされる。しかし、実際には「武士の情を知らん様なことはできない」(連合艦隊参謀・小林儀作中佐)と、大和には満タンの6割超に当たる4000トン、第1遊撃部隊全体では1万トン超を秘密裏に給油。沖縄への往復は十分に可能だったとみられる。
無敵のゆえんとなった世界最大の46センチ主砲が敵艦隊に向けられたのは結局、レイテ決戦におけるサマール沖海戦(1944年10月25日)の1 回だった。米護衛空母部隊に向け、大和は主砲弾100発以上を発射。しかし、その戦果は駆逐艦1隻撃沈だけだったとみられる。当時の国家予算の4%強を投 入した巨大戦艦について、戦後の大蔵官僚は「日本三大バカ査定の一つ」と断じた。
「大国主命、奈良の大仏……古来、日本人は『巨大なるもの』への信仰がある」。宗教学者の山折さんは説明する。ただし、もちろん、巨大戦艦は神 仏などではなかった。「明治維新以降は、平和な平安、江戸期とは異質な時代だった」と指摘し、大和については「(乗員という)『小さきもの』を守ることもできなかった」と話している。
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坊ノ岬沖海戦
第1遊撃部隊
- (司令長官:伊藤整一中将、参謀長:森下信衛少将)
- 第1航空戦隊
- 戦艦大和(艦長:有賀幸作大佐、副長:能村次郎大佐、砲術長:黒田吉郎中佐):沈没。被雷8本以上、直撃弾10発以上。戦死2,740、戦傷117名。
- 第2水雷戦隊(司令官:古村啓蔵少将)
- 軽巡洋艦矢矧(艦長:原為一大佐):沈没。被雷7本、直撃弾12発。戦死446、戦傷133名。
※矢矧に座乗していた第2水雷戦隊司令官古村啓蔵少将、矢矧艦長原為一大佐は、ともに生還。 - 第41駆逐隊(司令:吉田正義大佐)
- 冬月(艦長:山名寛雄中佐):帰還。中破。直撃弾2発(不発)。戦死12、戦傷12名。
- 涼月(艦長:平山敏夫中佐):帰還。大破、艦首部に直撃弾を受け大破。後進で佐世保に帰還。戦死57、戦傷34名。
- 第17駆逐隊(司令:新谷喜一大佐)
- 磯風(艦長:前田実穂中佐):至近弾により機関室浸水。航行不能になり処分。戦死20、戦傷54名。
- 浜風(艦長:前川万衛中佐):沈没。被雷1本、直撃弾1発。被弾で航行不能になった後、被雷し轟沈。戦死100、戦傷45名。
- 雪風(艦長:寺内正道中佐):帰還。至近弾のみ。ロケット弾の直撃を受けるものの不発に終わる(帰還後判明)。損傷無し。戦死3、戦傷15名。
- 第21駆逐隊(司令:小滝久雄大佐)
- 朝霜(艦長:杉原与四郎中佐):機関故障を起こし艦隊より落伍、正午過ぎに敵機と交戦中との無電を発信後連絡が途絶えた。撃沈されたものと推定。隊司令及び艦長以下326名全員が戦死した。
- 初霜(艦長:酒匂雅三少佐):帰還。至近弾のみ。損傷無し。戦傷2名のみ。
- 霞(艦長:松本正平少佐):直撃弾2発。うち1発が機関室を直撃、破壊。航行不能により処分した。戦死17、戦傷47名。
- 軽巡洋艦矢矧(艦長:原為一大佐):沈没。被雷7本、直撃弾12発。戦死446、戦傷133名。
- 第1航空戦隊
- 対潜掃討隊(瀬戸内海離脱後、命令により反転帰還)
- 第31戦隊(司令官:鶴岡信道少将)
- 花月(艦長:東日出夫中佐)
- 第43駆逐隊(司令:作間英邇大佐)
- 榧(艦長:岩淵悟郎少佐)
- 槇(艦長:石塚栄少佐)
- 第31戦隊(司令官:鶴岡信道少将)

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