2016年1月20日 星期三

兩次大戰間的海軍會議日方代表團成員

在兩次世界大戰之間曾有過幾次極具歷史意義之海軍會議,其中當以華盛頓、倫敦、日內瓦召開之數次海軍會議最為知名,特別是對日後二戰之各國海軍都產生了極大影響力。而當時日本作為海上列強之一,不僅派員參與了這些會議,還對會議之議題討論和決策起到了一定作用,特別是與會隨員中有相當一部分人成為了日後日本海軍之骨幹。下面乃五次海軍會議之日本代表團與會人員一覽(當時軍銜),首位均為歷次日本代表團的全權代表(也就是團長或者領隊,如加藤友三郎),後方括號內為該人最終軍事職務及軍銜。


1921年11月12日華盛頓會議

海軍大臣:加藤友三郎海軍大將(海軍大臣兼任首相、大將)
海軍大學校長:加藤寬治海軍中將(軍令部長、大將)
軍令部第1課長:末次信正海軍大佐(橫須賀鎮守府司令長官、大將)
軍務局第1課長:山梨勝之進海軍大佐(吳鎮守府司令長官、大將)
駐美使館武官:永野修身海軍大佐(軍令部總長、元帥)
駐美使館武官:上田良武海軍大佐(航空本部技術部長、中將)
海軍省任職:野村吉三郎海軍大佐(橫須賀鎮守府司令長官、大將)
軍務局任職:堀悌吉海軍中佐(第1戰隊司令官、中將)


1927年6月30日日內瓦會議

朝鮮總督:齋藤實海軍大將(海軍大將)
軍務局長:小林躋造海軍中將(聯合艦隊司令長官、大將)
軍令部第1班長:原敢二郎海軍少將(鎮海要港部司令官、中將)
國際聯盟海軍代表:堀悌吉海軍大佐(第1戰隊司令官、中將)
駐英使館武官:豐田貞次郎海軍大佐(海軍次官、大將)
駐法使館武官:古賀峰一海軍大佐(聯合艦隊司令長官、元帥)
艦政本部任職:野村直邦海軍中佐(海運總監、大將)
國際聯盟海軍代表隨員:小林宗之助海軍中佐(舞鶴鎮守府司令長官、中將)
第2艦隊參謀:佐藤市郎海軍中佐(旅順要港部司令官、中將)



1930年1月21日倫敦會議

海軍大臣:財部彪海軍大將(海軍大將)
軍事參議官:安保清種海軍大將(海軍大臣、大將)
軍務局長:左近司政三海軍少將(佐世保鎮守府司令長官、中將)
軍令部第2課長:中村龜三郎海軍大佐(佐世保鎮守府司令長官、中將)
軍務局第1課長:佐藤三郎海軍大佐(海軍大學校長、中將)
駐德使館武官:野村直邦海軍大佐(海運總監、大將)
國際聯盟海軍代表:佐藤市郎海軍大佐(旅順要港部司令官、中將)
戰艦赤城艦長:山本五十六海軍大佐(聯合艦隊司令長官、元帥)
戰艦山城艦長:豐田貞次郎海軍大佐(海軍次官、大將)
輕巡天龍艦長:高橋伊望海軍中佐(吳鎮守府司令長官、中將)
第1遣外艦隊參謀:岩村清一海軍中佐(第2南遣艦隊司令長官、中將)
海軍大臣副官:金澤正夫海軍中佐(吳鎮守府司令長官、中將)
軍令部任職:山口多聞海軍中佐(第2航空戰隊司令官)



1932年2月2日日內瓦會議

軍令部次長:永野修身海軍中將(軍令部總長、元帥)
軍令部任職:長谷川清海軍中將(台灣總督、大將)
第2艦隊參謀長:小槙和輔海軍少將(會議期間病逝、少將)
國際聯盟海軍代表:洪泰夫海軍大佐(國際聯盟海軍代表、少將)
重巡羽黑艦長:小林宗之助海軍大佐(舞鶴鎮守府司令長官、中將)
軍令部第2課長:野田清海軍大佐(軍事普及部委員長、中將)
軍令部任職:塚原二四三海軍大佐(橫須賀鎮守府司令長官、大將)
軍令部任職:小林仁海軍大佐(第4艦隊司令長官、中將)
軍令部任職:岡敬純海軍大佐(鎮海警備府司令長官、中將)
軍令部任職:中原義正海軍中佐(東南方面艦隊參謀長、中將)
軍令部任職:奧田喜久司海軍中佐(第13航空隊司令官、少將)
軍務局任職:岡新海軍中佐(大阪警備府司令長官、中將)
東鄉平八郎元帥副官:緒方真記海軍中佐(第9艦隊參謀長、中將)



1935年12月9日倫敦會議

軍事參議官:永野修身海軍大將(軍令部總長、元帥)
戰艦榛名艦長:岩下保太郎海軍大佐(聯合艦隊參謀長、少將)
軍令部第2課長:稲垣生起海軍大佐(海軍大學校長、中將)
軍務局第1課長:阿部勝雄海軍大佐(駐意使館武官、中將)
軍事參議官副官:水野恭介海軍中佐(大本營海軍報導部任職、少將)

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