桜型駆逐艦
桜(さくら)1912年5月21日-1932年4月1日
1912年(明治45年)5月21日、舞鶴海軍工廠で竣工。1932年(昭和7年)4月1日除籍。
橘(たちばな)1912年6月25日-1932年4月1日
1912年6月25日、舞鶴海軍工廠で竣工。1932年4月1日除籍。
樺型駆逐艦
樺(かば)
1914年12月1日、横須賀海軍工廠で起工、翌年2月6日出渠、3月5日竣工。1932年4月1日除籍。
榊(さかき)
1915年3月26日、佐世保海軍工廠で竣工。1917年4月26日、沈没した客船・「トランスシルバニア」の乗員多数を救助、多くの人命を救ったことに連合国は感謝し、上原太一艦長ほか将兵27名がイギリス国王ジョージ五世から叙勲された。しかし、1917年(大正6年)6月11日、護衛任務を終えマルタ島へ帰還の途上、敵潜水艦の魚雷が命中し艦首切断、上原太一艦長以下59名が戦死した。その後、イギリス工廠で修理の上再就役、艦長は蒲田静三が引き継いだ。1932年4月1日除籍。
楓(かえで)
1914年10月25日起工、1915年2月20日進水、 1915年3月25日舞鶴海軍工廠で竣工。1932年4月1日除籍。
桂(かつら)
1915年3月31日、吳海軍工廠で竣工。1932年4月1日除籍。
梅(うめ)
1915年3月31日、川崎造船所で竣工。1932年4月1日除籍。
楠(くすのき)
1915年3月31日、川崎造船所で竣工。1932年4月1日除籍。
柏(かしわ)
1915年4月4日、三菱長崎で竣工。1932年4月1日除籍。
松(まつ)
1915年4月6日、三菱長崎で竣工。1932年4月1日除籍。
杉(すぎ)
1915年3月31日、大阪鉄工所桜島工場で竣工。1932年4月1日除籍。
桐(きり)
1915年4月22日、浦賀船渠で竣工。1932年4月1日除籍。
桃型駆逐艦
桃(もも)
1916年(大正5年)12月23日、佐世保海軍工廠で竣工。地中海遠征に参加。1940年(昭和15年)4月1日、除籍。
樫(かし)
1917年(大正6年)3月31日、舞鶴海軍工廠で竣工。地中海遠征に参加、船団護衛任務についていた。日本に帰国してからは魚雷発射管を撤去され水上機の運用試験などに使用された。1937年(昭和12年)5月1日除籍。満州国に譲渡され「海威(ハイウェイ)」となる。九〇式一号水上偵察機一機を運用していた。1942年(昭和17年)6月29日満州国海軍から日本海軍への無償貸与という形で日本海軍に編入され「海威」として日本海軍の船になる。東シナ海などで護衛・哨戒活動を行った。1944年(昭和19年)10月10日、沖縄で十・十空襲により戦没。
檜(ひのき)
1917年3月31日、舞鶴海軍工廠で竣工。地中海遠征に参加。1940年4月1日、除籍。
柳(やなぎ)
1917年5月5日、佐世保海軍工廠で竣工。地中海遠征に参加。1940年4月1日除籍。佐世保海兵団の練習船として使用。戦後解体、船体は北九州市若松区若松港の防波堤として使用(軍艦防波堤)。
楢型駆逐艦
楢(なら)
1918年(大正7年)4月30日、横須賀海軍工廠で竣工。1930年(昭和5年)6月1日、掃海艇に転籍、第九掃海艇となる。1936年(昭和11年)4月1日雑役船「楢」となる。1940年(昭和15年)11月15日除籍。その後解体。
桑(くわ)
1918年3月31日、吳海軍工廠で竣工。1933年(昭和8年)9月1日除籍。1936年8月15日、台風での浸水により沈没、のちに解体。
椿(つばき)
1918年4月29日、吳海軍工廠で竣工。1935年(昭和10年)4月1日除籍。海軍機関学校の教材となる。終戦時船体は呉の浮き防波堤。
槇(まき)
1918年4月7日、佐世保海軍工廠で竣工。1934年(昭和9年)4月1日除籍。のちに海軍工機学校教材。
欅(けやき)
1918年4月20日、佐世保海軍工廠で竣工。1933年9月1日除籍。
榎(えのき)
1918年4月30日、舞鶴海軍工廠で竣工。1930年6月1日、掃海艇に転籍、第十掃海艇となる。1940年除籍、吳の魚雷実験部の防波堤として終戦を迎える。
樅型駆逐艦
樅(もみ)
1919年12月27日竣工(横須賀海軍工廠)- 1932年4月1日除籍。1936年訓練射撃用標的。
榧(かや)
1920年3月26日竣工(横須賀海軍工廠)- 1940年2月1日除籍。
楡(にれ)
1920年3月31日竣工(吳海軍工廠)- 1940年2月1日除籍。1940年10月15日、航海学校付属の練習船。1944年12月17日、楡(橘型駆逐艦)との区別のため、第一泊浦(だいいちとまりうら)に改称。1945年7月11日、横須賀海兵団(横須賀突撃隊供用)所属の特攻母艦。戦後解体。
栗(くり)
1920年4月30日竣工(吳海軍工廠)- 掃海作業中の1945年10月8日釜山港で触雷沈没。1945年10月25日除籍。
梨(なし)
1919年12月10日竣工(川崎造船所)- 1940年2月1日除籍。
竹(たけ)
1919年12月25日竣工(川崎造船所)- 1940年2月1日除籍。除籍後は舞鶴海兵団の練習船。1944年2月10日、機関学校附属の練習船。1948年解体、船体は秋田県秋田港防波堤となるが、1975年、港の外港展開とともに取り除かれた。
柿(かき)
1920年8月1日竣工(浦賀船渠)- 1940年2月1日除籍。1940年10月15日、兵学校付属の練習艦。1945年2月23日、柿(橘型駆逐艦)との区別のため、大須(おおす)に改称。終戦直後の台風で座礁、解体。
栂(つが)
1920年7月20日竣工(石川島造船所)。1941年12月第二遣支艦隊の一員として香港の戦いを参加した(旗艦五十鈴)。1945年1月15日、高雄にて航空機の攻撃により戦没。
菊(きく)
1920年12月10日竣工(川崎造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第31号哨戒艇に改称。1944年3月30日、航空機の攻撃により戦没(パラオ西水道)。
葵(あおい)
1920年12月20日竣工(川崎造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第32号哨戒艇に改称。1941年12月22日、ウェーキ島上陸作戦で擱座、放棄。
萩(はぎ)
1921年4月20日竣工(浦賀船渠)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第33号哨戒艇に改称。1941年12月22日、ウェーキ島上陸作戦で擱座、放棄。1942年1月10日除籍。
薄(すすき)
1921年5月25日竣工(石川島造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第34号哨戒艇に改称。1943年3月6日、カビエン南方で特務艦矢風と衝突し沈没[1]。
藤(ふじ)
1921年5月31日竣工(藤永田造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第36号哨戒艇に改称。スラバヤで終戦。復員輸送中にインドネシア軍に奪取されたが後にオランダ軍が接収。
蔦(つた)
1921年6月30日竣工(川崎造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第35号哨戒艇に改称。1942年9月2日、航空機の攻撃により戦没(ビコリア島北東)。
葦(あし)
1920年11月15日竣工(川崎造船所)- 1940年2月1日除籍。1940年10月15日、航海学校付属の練習船。1944年12月17日、葦(橘型駆逐艦)との区別のため、第二泊浦(だいにとまりうら)に改称。1945年7月11日、横須賀海兵団(横須賀突撃隊供用)所属の特攻母艦となるが、後に東京湾第二海上堡塁に擱座。
菱(ひし)
1922年3月23日竣工(浦賀船渠)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第37号哨戒艇に改称。1942年1月23日、米駆逐艦4隻と交戦沈没(バリックパパン)。1942年4月10日除籍。
蓮(はす)
1922年7月31日竣工(浦賀船渠)- 青島で終戦。戦後解体。船体は福井県四箇浦港防波堤。
菫(すみれ)
1923年3月31日竣工(石川島造船所)- 1940年2月1日除籍。1940年11月15日、兵学校付属の練習艦。1945年2月23日、菫(橘型駆逐艦)との区別のため、三高(みたか)に改称。戦後解体。
蓬(よもぎ)
1922年8月19日竣工(石川島造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第38号哨戒艇に改称。1944年11月25日、米潜アトゥルの雷撃により戦没(バシー海峡)。
蕨(わらび)
1920年10月12日竣工(藤永田造船所)- 1927年8月24日、神通と衝突沈没(島根県美保ヶ関沖、美保関事件)。
蓼(たで)
1922年7月31日竣工(藤永田造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第39号哨戒艇に改称。1943年4月23日、米潜「シーウルフ」の雷撃により戦没(与那国島南方)。
若竹型駆逐艦
若竹(わかたけ)
1922年(大正11年)9月30日、川崎造船所で竣工。当初名は第二駆逐艦。1928年(昭和3年)8月1日、若竹と改名。駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦。1944年(昭和19年)3月30日、パラオ大空襲の際にパラオ湾口にて航空機の攻撃により戦没。
吳竹(くれたけ)
922年(大正11年)12月21日、川崎造船所で竣工。当初名は第四駆逐艦。1928年8月1日、吳竹と改名。駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦。1944年(昭和19年)12月30日、バシー海峡にて米潜水艦「レザーバック」の雷撃を受け戦没。
早苗(さなえ/さなへ)
1923年(大正12年)11月5日、浦賀船渠で竣工。当初名は第六駆逐艦。1928年8月1日、早苗と改名。駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦。1943年(昭和18年)11月18日、セレベス海で米潜水艦「ブルーフィッシュ」の雷撃を受け戦没。
早蕨(さわらび)
1924年(大正13年)7月24日、浦賀船渠で竣工。当初名は第八駆逐艦。1928年8月1日、早蕨と改名。昭和7年12月5日、台湾海峡で荒天により転覆沈没。
朝顔(あさがお/あさがほ)
1923年5月10日、石川島造船所で竣工。当初名は第十駆逐艦。1928年8月1日、朝顔と改名。駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦、呉で終戦を迎える。が、7日後に関門海峡で触雷大破し浸水着底した。
夕顔(ゆうがお/ゆふがほ)
1924年5月21日、石川島造船所で竣工。当初名は第十二駆逐艦。1928年8月1日、夕顔と改名。1940年4月1日、哨戒艇に類別変更し第46号哨戒艇に改称。パラオ、トラック方面の船団護衛に従事したが、1944年11月10日、石廊崎沖で米潜水艦「グリーンリング」の雷撃を受け戦没。
芙蓉(ふよう)
1923年3月16日、藤永田造船所で竣工。当初名は第十六駆逐艦。1928年8月1日、芙蓉と改名。駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦、1943年12月20日、マニラ湾口で米潜水艦「パファー」の雷撃を受け戦没。
刈萱(かるかや)
1923年8月20日、藤永田造船所で竣工。当初名は第十八駆逐艦。1928年8月1日、刈萱と改名。駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦、昭和19年5月10日、ルソン沖で米潜水艦「コッド」の雷撃を受け戦没。
建造中止:第十四駆逐艦、第二十駆逐艦
計画のみ:第二二駆逐艦、第二四駆逐艦、第二六駆逐艦
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